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[移住者インタビュー]平戸時間

ピンチはチャンス。思い切って一歩を踏み出して平戸市

平戸市
カフェ「PEA BERRY」オーナー
磯崎洋介さん
profile
埼玉県出身
奥様の実家・平戸市へお子さんと共に関東からIターン移住。観光業や飲食店で7年間がむしゃらに働いた末、念願の自店「PEA BERRY(ピーベリー)」をオープンした磯崎さん。自分のやりたいことにようやく行き着いたというこれまでの道のりは、移住前のイメージとして抱いていたスローライフとは真逆のものでした。突破口となったのは人との出会い。「チャンスはたくさん転がっている。勇気を出して地域のコミュニティに一歩足を踏み出すことが大事」と語るその笑顔からは、さまざまな葛藤や決意を乗り越えたことが伺えます。

住んでみて分かった、スローな時間を“支えるもの”

住んでみて分かった、スローな時間を“支えるもの”
九州本土の最西端、かつての城下町で国際貿易港としての歴史を持つ平戸市。奥様の実家で年に1、2回帰省していたこともあり、磯崎さんが平戸に抱いていたイメージはまさに「スローライフ」そのものだったそう。
「子どもに障がいがあるので、人口の多い関東より暮らしやすいだろうと」。移住の話が出てから住み始めるまでには時間はかかりませんでした。
縁あって観光業に勤め始めた磯崎さんは、スローライフとは真逆の、観光客を楽しませる“ホスト側”の側面を目の当たりにすることに。一家の大黒柱として身を粉にして働く、心身の限界に挑むような日々が続きました。
おもてなし空間を提供するサービス業や、おいしい食材を育てる生産者など、観光客側からは見えない彼らの奮闘が、この一大観光地の人気を支える太い柱の1つだと肌で感じたそう。「観光やショートステイでは、絶対に分からない側面でした」。
がむしゃらに働き続けた数年間、仕事での人脈は徐々に広がったものの、地元住民とのコミュニティを築く機会にはなかなか恵まれなかったという磯崎さん。
「移住者なので顔見知り程度ではありましたが。奥さんの家族に迷惑をかけないよう、常にプレッシャーでしたね」
あるときふと、好きで長年続けていたコーヒーの焙煎や、経営コンサルの経験を活かし独立したいという想いが湧き上がります。背中を押してくれたのは仕事先で知り合ったミュージシャンでした。「やりたいことを今やらないでどうする」。
「平戸でチャレンジしたい。ここが勝負所だ」。
勇気を出して一歩を踏み出したその先には、新しい世界が広がっていました。

地元の人々と同じ目線を持てば世界が変わる

お店の場所は、偶然この場所が空いており即決。田平商工会の担当者に相談したところ親身に対応してくれ、セミナー参加など二人三脚で準備を進めていきました。
「田平にスタバを作ろう!」のコンセプトで企画書を制作、プレゼンをし、見事に市からの補助や銀行の融資も受けられることに。
こうして誕生した「PEA BERRY」は、観光のメイン通りから外れた場所にあるためか地元のお客さんが多いそう。学校帰りの子どもたちや、コーヒータイムを楽しむシニアの方々、晩御飯のテイクアウトまで、一気に地域との繋がりができたそうです。
磯崎さんと同じ移住者たちも集い、時には彼らに相談やアドバイスも。「外からの目線や移住者同士のコミュニケーションも大切だけど、まずは地域の人たちと向き合うことが大事だとよく伝えています」。

移住前後のギャップを減らすための努力を

7年間の経験を胸に開いたカフェには、移住者の挑戦を応援するかのように地元の人々が訪れます。「ようやく受け入れてもらえたかもと実感できた」。
魚市場の社長が来店したことがきっかけで、週に一回競りのお手伝いへ。早朝2時からの力仕事は大変ですが、生産者や経営者と知り合うきっかけにもなり、コラボメニューも誕生しました。
「すごく人に助けられてます。親切にしてくれて、あったかいなって。やっと今、身に染みています」
移住は可能性に満ちているからこそ、決して簡単なことではないと語る磯崎さん。
「地域に入り込む努力は必要です。本当に平戸の雰囲気をつかむためには、まずは一ヶ月以上は住んでみて。何だったら、一度働いてみてほしい。守りに入っているだけでは何も得られませんから」
豊かな自然や人々の活気にあふれたまちの裏側には、懸命に生きる人々の姿があります。自分の足と目でしっかりと見て感じることが必要なのかもしれません。
「考えごとをしたいときには、田平公園から平戸大橋を眺めます」。物事を俯瞰で眺めることも常に忘れません。
「平戸は本当に恵まれた環境。どの地方も同じかもしれませんが、人口が減少しているピンチな状況だからこそチャンスがたくさん転がっている。将来的には、自分の子どものように障がいを持つ人たちが快適に働けるような場所を作りたいですね。未知の世界なので、かなり勉強が必要ですが」
やりたいことと地域との折り合いをつけながら、磯崎さんはこれからも道を切り拓いていくことでしょう。