佐世保市相浦町で生まれ育った浦芳郎さんの経歴は、とにかくグローバルだ。高校卒業後にニューヨークと上海の大学に留学。帰国後、当時まだ社員数100名程度のベンチャー企業だった「ぐるなび」に入社する。その5年後には上海支社に移り、行政や民間企業と連携した日本食の輸出プロジェクトに取り組んだ。「今ではすっかり普及した刺身や弁当も、生産から流通、販売までのスキームを整えることで、徐々に浸透していきました」。食を中心とした橋渡し役を世界で担ってきた浦さんだが、ずっと心に決めていたのは、いつか地元で会社を営む両親のもとにUターンすることだった。「僕は人生を10年ごとに区切って、40代から佐世保市に戻りたいと考えていました」。まさに40歳となった昨年5月、会社を退職して妻と子どもとともに帰郷。生活拠点の変化は、両親にも良い影響をもたらした。「一時は会社をたたむことも考えていたようです。それが息子夫婦と孫が帰ってきた今、まだまだ現役だと張り切っていますよ」。
仕事面でも大きな転換となったが、30代まで積み重ねてきた経験を活かすチャンスに恵まれる。佐世保市を中心とする長崎県内の一次産品食材を国内外に向けたブランドマーケティング事業を立ち上げ、東京、福岡、上海、台湾での商談会やイベントまで開催。地元にとっては当たり前でも、世界に誇れる質の高い食材を広く発信することができた。現在は、相浦町の広大な空き地を活用するプロジェクトに参加。地元と行政、民間企業のパイプ役を務めながら、一体感のあるまちづくりを目指す。「横の繋がりが強いのは佐世保市ならでは。Uターンして1年半で、驚くほどたくさんの縁に恵まれましたし、東京や海外から手伝いに足を運んでくださる方もいます」。地元の内側と外側の人同士を繋ぐ浦さん。「自分たちで住みたいまちを作ればいいんだよね」という言葉から、主体的にまちや人と交わる前向きな明るさが伝わってきた。