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[移住者インタビュー]小値賀時間

あるもので暮らす、人間として生きる幸せ小値賀町

小値賀町
保育士
吉岡 春花さん
profile
熊本出身
笑顔が朗らかな吉岡さん。大きいお腹には、もうすぐ産まれる赤ちゃんが。現在、保育士をしている吉岡さんは、26歳のときコロナ禍を機に島暮らしへの憧れを抱き、当時住んでいた大阪から30以上の島々を旅してきました。そんな旅の終着点となったのはここ、五島列島北部にある小値賀町。結婚に出産と、人生の大きな節目を迎えながらも“旅をするように暮らす”、吉岡さんの日常とは。

大都会から島暮らしへ

大都会から島暮らしへ
2年前は、大都会東京・大阪で保育関係の仕事に携わっていた吉岡さん。コロナ禍の影響で閉鎖的な空間から、自然豊かな場所での生活に意識が向くようになりました。

瀬戸内海の直島へ友人と訪れた際に、島暮らしへの憧れを抱き、その後一か月間かけて30以上の島々を巡りました。

「観光だけでなく住むことも意識して。アクセスの良さや人口の多さ、施設の充実だったりを項目化してチェックしていました(笑)」

島ミシュランならぬ、吉岡さんランキングでした。しかし移住先として選んだのは意外なことに、チェック項目の少なかった小値賀島でした。

「小高い展望スポットで景色を見渡したとき『また戻ってくる気がする』って直感したんです。その後一回大阪に戻って移住のことをよく調べて、地域おこし協力隊のインターンシップ制度を知ったんです」

地域おこし協力隊のインターンシップとして一ヶ月ほどショートステイをした吉岡さんは、たまたま同年代の先輩移住者と出会いました。彼女は東京からの移住者で、同じ境遇として話が弾んだといいます。

また、役場の人の紹介で訪れた食事処のお母さんが温かく迎えてくれ、島について色々と聞き経験したことで愛着も芽生えていきました。移住を決めたのは、同年代の移住者が住んでいた家の隣がたまたま空いていたから。「もうそこに住めばいいや!」と、思い切って飛び込みました。

「最終的に人柄に惹かれたんです。居心地が良くて、ここなら楽しく暮らせるかもって思いました」

はじまった第二の人生

はじまった第二の人生
はじめは農業に興味を抱き、農家さんのお手伝いなどもしていましたが、やはりこれまで培ってきた能力を活かしたいと保育士を選択。「ゆくゆくは農業もやってみたいけど、島の一員になれるまでは地に足の着いた仕事が良いなと思いました」。

働くようになって気がついたことは、子どもを見守り育てる地域の連帯感の強さ。挨拶の声掛けはもちろん、危険なことをしたら注意するといった、家々の垣根を越えたコミュニケーションが自然に備わっているのだそう。

「芋ほり体験や海を散歩したり、農家さんとのふれあいや昔の道具を使った餅つきとか。かんころを干しているのを見に行ったりもしました。『牛さん見せてください~』って、その時にふらっとお邪魔しても歓迎してくれる環境は、島ならではの光景ですね」
新しい環境での生活に馴染もうかとしていた頃、行きつけのカフェのママの紹介で先輩移住者の男性とめでたく結婚。島民からも熱い祝福を受けました。

夫婦生活を経て、島の暮らしにも少しずつ溶け込んでいきます。買い物以外は島内で完結する生活で、すっかり早寝早起きも定着したそうです。

「よく行くのは『あい菜市』です。週に3日、小値賀の農家さんが持ち寄った新鮮な野菜が並ぶ直売所で、朝7時には夫婦で買い物に行きます。顔なじみ同士でよくおしゃべりもしますね。あとは、人とすれ違ったら挨拶をするのが、島外に出ても普通になっちゃいました(笑)」

仕事が休みの日は、夫婦で島を一周ドライブ。浜辺を散策したり、「五両ダキ」を眺めたり、ふらっと牛を見に行ったり。まさに観光客が旅の中ですることが暮らしの一部になっていると吉岡さん。

「意外と、お魚がお店に並んでないんですよ。特に切り身が。なので、ときどきご近所さんからもらったりしたときは嬉しいです。子どもが産まれたら、一緒に釣りにチャレンジしてみたいです」。

「人として幸せに生きる」が分かる暮らし

「人として幸せに生きる」が分かる暮らし
移住して2年目。ようやく自分も島民の一員になれたと感じ始めているという吉岡さん。「島のためにできることをやりたい」と始めた保育士の仕事ですが、今後は美術系の大学に通っていた経験などを活かし、島やお店のPRなどにも繋げていきたいと語ります。

「ラッパを吹いてみたくて、消防団にも入ったんですよ(笑)。小さいことから、島のためにできることが増えて行ったら良いなと思います」

これから産まれるお子さんには、たくさんの愛情を受けてのびのび育ってほしいとのこと。もし島外に出ても、小値賀町がまた戻ってきたくなるような場所になってくれたらと目を細めます。

吉岡さんが小値賀暮らしのなかで特に強く感じたのは「人間として生きる幸せ」。

「最初住んでいた家には畑がついてて、友達と一緒に野菜を育てたんです。島の人がいろいろ貸してくれて。その時に、人間として生きるってのはこんな感じなんだなって。いろいろあればいいってもんじゃないなみたいな、あるもので生活するのが本当に幸せなんだな、みたいなのは、すごい感じましたね」

自己実現、何かを成し遂げようとすることも地方移住の目的の1つですが、吉岡さんの場合はコロナ禍をきっかけに、ありのまま人間らしく、幸せに生きることを学ぶきっかけになったようです。「ハードルを高くしすぎず、ぜひ一回味わってみてほしいです」

「以前と比べてすっかり落ち着きました」と微笑む吉岡さん一家の暮らしは、大自然が織りなす四季折々の表情や人々の営みとともに、思い出の1ページを刻んでいくことでしょう。

ささやかだけれど新しい発見にあふれた、まるで旅をするかのような暮らしが、小値賀町にもありました。