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[移住者インタビュー]松浦時間

30歳目前のチャレンジ。素潜り漁師に、俺はなった!松浦市

松浦市
第八いろは丸 素潜り漁師
谷 浩介さん
profile
奈良県出身
第八いろは丸 素潜り漁師
第十八いろは丸 船底・養殖網洗浄 潜水士
「将来は海の近くに住みたい。なら、仕事は漁師しかない」。30歳を目前に控えたある日、何気ない会話から見えてきた第二の人生。考え出したら一直線、大阪から家族とともに長崎へ降り立ち、縁あって移住した先は松浦市本土からフェリーで20分の場所にある離島・青島。谷浩介さんは、2年間の見習い期間を経て素潜り漁師になりました。港から徒歩数分、漁師たちの家々が連なる昔ながらの風景の中に、谷さん一家の住まいがあります。島暮らし7年目。現在に至るチャレンジの軌跡と家族の想いとは。

脱サラ漁師の挑戦

現在は、素潜り漁師と潜水士として家族4人を支える谷浩介さん。もともとは営業職のサラリーマンだったそうですが、転機のきっかけとなったのは奥さん・彩葉(いろは)さんの祖父の地元である上五島町の海景色でした。

浩介さんの実家は海のない奈良県。高校生のときは魚屋でアルバイトをするなど、海や漁師に対する憧れは漠然と抱いていたと振り返ります。

29歳、上五島からの電車の帰り、「海のそばで生活したい。となると、やはり仕事は漁師しかない」と脱サラを決心。その想いをさらに後押ししてくれたのは奥さんの彩葉(いろは)さんでした。「なるなら早い方が良い。30歳までに転職するかどうかを決めよう」。

その翌年には長女の知波ちゃんを連れて一旦、奥さんの実家の佐世保市へ。移住先を検討していた際、当時の松浦市漁協組合長と出会います。「一回ちょっとまわってみるか」と、福島町にあった組合長の船で青島を訪れることになった浩介さんは、島の人々の優しさに迎えられました。クロマグロの養殖を行う「辻川水産」での修行も決まり、本格的に青島へ移住。

空き家探しは少し難航しましたが、島民の方からの紹介で一軒家を賃貸できることに。のちにもう2人の子宝にも恵まれ、さらに賑やかになる谷家の新しい住まいとなりました。
浩介さんは国の補助金も活用しながら2年間ほど漁師の仕事に携わったあと、素潜り漁師として独立。「10歳年上の先輩で、素潜りをやっている人がいて、ときどき漁に連れて行ってもらっていたんです。その年の冬から一人でやってみようかとなって、そのタイミングで」。

獲るのはアワビやサザエなど。ウェットスーツに身を包み、手カギを手に最大深さ15メートルまで潜水。5時間かけて獲れた新鮮な海の恵みは、漁協やネット販売を通じて全国へ届けられます。「収入は、多い時で月100万を越えることもありますが、厳しい自然相手なので安定しないこともある。身体1つで勝負できて、頑張った分だけ返って来る、やりがいを感じる仕事だと思いますね」

家族との時間に子育て。母の気持ちは

青島での暮らしは、奥さんの彩葉さんにも良い影響が。

「以前大阪で暮らしていた時は、常に時間に追われてて自分の人生とか考える余裕がなかったんです。こっちに来てからはそういう時間も増えましたし、何より夫を含めて家族との時間が増えました」

フルタイムで残業も多かったかつての生活。今では、夕方になると海で獲れた海産物やご近所さんからのお裾分けで作った料理を家族みんなで囲み、団らんのひとときを過ごします。

「海のお魚が食卓に並ぶまでを知ることができる、食育の面でも有難い環境です。みんなお魚が好きでテーブルでは争奪戦が起きることも。おかげでライバルが増えました(笑)」

小学校では、授業の一環として「ウニ獲り体験」など、地元漁師の協力のもと自然とふれあえる機会も多く、都会では味わえないアクティビティも盛りだくさんです。

人口、とりわけ子どもの少ない青島では「子どもは宝」。住めばみんな顔見知りになりどこへ出掛けるにも温かく見守ってくれるので、家での生活や外出もリラックスできるそう。子どもの笑い声や生活音が歓迎される場所は、今となっては貴重なのかもしれません。

「特に妊娠中は、島民の方々に体調を気遣ってもらえる場面も多く嬉しかった」と彩葉さんは振り返ります。

とはいえ、出産はもちろん通院、保育園への通園などは本土で行わなければいけないため、毎日船やフェリーでの移動は不可欠。「それももちろん覚悟しての移住です。今ではすっかり日常の一部になっていますね」と話す彩葉さんの目は、母としての強さを帯びていました。

島全体で一丸となって盛り上げていく

現在、島民の数は約190人。多くは60歳以上で、今後の水産業の衰退や集落の存続が危ぶまれる状態です。そんな中、地元の若手有志を中心に一般社団法人「青島〇」が設立。島民すべてが所属し、1,000年以上続く伝統の素潜り漁をはじめ、豊かな資源を守り島を盛り上げようとさまざまなアクションを行っています。

青島に移住するには、「島の一員として地域と関わりを持ち、海の恩恵で食べていくぞ」という強い覚悟が必要と、浩介さん。毎日顔を合わせるご近所さんや漁師さんたちのコミュニティ、行事ごとには家族で積極的に参加しているそうです。「お酒が呑めるとなお良いかもです(笑)」。それぞれ屋号は違えど、同じ大海原を相手に生活する仲間意識が、この暮らしには不可欠でしょう。
浩介さんの名刺には「安心・新鮮・努力」という企業理念が書かれています。「漁師としての理念はもちろん、いつだって、7年前に島に来ようと思ったときの初心は忘れないようにしているんです」。

谷さん一家をはじめ、島民の人々の想いに応えるように、松浦の青い海は力強くきらきらと輝いています。

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