西九州させぼ広域都市圏

西九州させぼ広域都市圏 よか暮らし - YOKA Kurashi

MENU
posted: 2024/10/29
佐世保市

佐世保市のエリア紹介佐世保市

佐世保は日本の西の端に位置し、288kmにも及ぶ複雑なリアス海岸、208もの島々からなる九十九島、五島列島の島々があり、暖流の黒潮から分かれた対馬海流が流れています。
複雑な海岸線と島々は海を活動舞台とする人々に“浦”と呼ばれる暮らしの場を与えました。
特異稀な地勢が生んだ浦々には、その地ならではの特徴ある生活文化が根付いています。
海を介した太古からの物語、人、物、技、信仰など世界と交流した歴史物語、国際社会を強く意識した近代から現代にいたる島国、日本が凝縮した港物語があります。


海人の風待ち浦、宇久。宇久島

海人の風待ち浦、宇久。宇久島
佐世保からフェリーで2時間半ほどの五島列島最北端にある宇久島は、海を見つめて笑みをたたえる極彩色の恵比寿様が出迎えます。
かつて捕鯨やアワビ漁で活躍した海のサムライ「海士(あまんし)」は今もこの島に語り継がれ、島のいたる所に伝説を残しています。
気候は対馬暖流の影響を受け温暖なので、アコウの巨樹や三浦神社の大ソテツといった亜熱帯系植物が見られます。
岬の灯台から見渡す海の大パノラマは多くの旅人を魅了してやみません。

208通りの風が生まれる多島海の大自然。九十九島(南部)

佐世保市内の雑踏を抜け、造船所のクレーン群を左手に見ながら車を走らせると、約10分で西海国立公園「九十九島」に。
そこは自然海岸の長さ288㎞にもおよぶ日本有数の長さを誇るリアス海岸で、208の島々が点在しています。
早春はツルの北帰行が見られ、また、そこを棲家とする希少な野鳥や水生生物、植物を観察することができます。
遊覧船クルーズやシーカヤックでは大自然に癒されます。

〝花群れる〟祈りの島 黒島。黒島

島民の約8割を占めるカトリック信者の心の拠りどころである、「黒島天主堂」はゆうに120年を超す赤煉瓦の建物で、内外観ともに素晴らしく、深い信仰で守られています。
素朴であたたかい山の幸と海の幸を材料に島のお母さんが腕をふるう「島めし」や、味も歯ごたえもしっかりした黒島豆腐、お祝いに欠かせないふくれ饅頭など、丁寧な暮らしぶりが今も息づいています。
平成30(2018)年7月、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録され、「黒島の集落」は構成資産のひとつです。

多島海に揉まれ鍛われた、心優しき漁師たちの浦々。九十九島(北部)/高島・相浦・小佐々・鹿町

複雑なリアス海岸と対馬海流が流れ込む豊かな漁場を舞台とするエリア。
このエリアは、活気あふれる漁師まちです。
いりこ生産量日本一の小佐々町、208ある九十九島の中で4つの有人島のひとつ高島町、西日本最大級規模の魚市場のある相浦町、10万本のツツジと九十九島とらふぐの養殖で知られる鹿町町。
日本本土最西端の「神崎鼻公園」や北九十九島を一望できる「冷水岳」や「長串山」からの落陽は圧巻です。

もてなしの時を重ね心を束ねた笑むかえ。江迎

平戸往還の宿場町として栄えた時代の伝統や風習を、今も大切に受け継いでいる江迎町。
春は福を招く色とりどりの繭玉が軒先で風に揺れ、夏は約500年続く「水かけ地蔵まつり」や高さ25mのタワーに火が灯る「千灯籠まつり」で賑わいます。
江戸時代、平戸のお殿様が参勤交代などの折に休泊した「江迎本陣跡」は往時の佇まいを残し、本陣屋敷の当主・山下家は平戸藩御用達の造り酒屋として現在も歴史を刻み続けています。

浦々に恵みをもたらす、豊穣の里山。吉井・世知原・柚木

山麓に実り豊かな里山が広がるこのエリアでは、棚田米にお茶、イチゴやメロン、黒大豆など様々な農作物が作られています。
それは、人と自然との共生によって生み出されたもの。
また、明治から大正にかけて造られた石造りのアーチ橋が世知原町と吉井町に点在し、当時の炭鉱町の面影と石工職人の心意気を感じることができます。
そのほとんどが今も道路として使用されており、おだやかな田園風景に溶け込んでいます

世界一の名声を得た、小さき皿山。三川内

小さな谷あいに軒を連ねる窯元。
そこは、平戸藩窯からの400年の技を受け継ぐ「三川内焼」の里です。
各窯元の技は一子相伝の秘技によって開花しました。
雪のように白い磁肌に描かれた繊細な呉須絵や緻密な細工、1ミリ弱の薄さで光を通す卵殻手、レース編みのような透かし彫り等々。
江戸時代の旅籠を再生した古民家では押し寿司などの郷土料理を楽しむことができます。
2016年4月「日本磁器のふるさと 肥前~百花繚乱のやきもの散歩」が日本遺産に認定され、「三川内焼」は構成文化財のひとつです。

昔人の対峙と交流の面影、早岐の瀬戸。早岐・宮・ハウステンボス

海に面した町・早岐は、古くから交通の要所として栄え「市」が開かれていました。
現在も5~6月になると瀬戸沿いに、新茶をはじめ農産物や海産物、陶器、ざるや竹籠などの露店が立ち並びます。
宮地区には、戦争中に先生と児童が力を合わせ、ツルハシで掘った全校児童600人を収容できる防空壕があり「無窮洞」と呼ばれています。
そして、「佐世保と言えばハウステンボス」と返ってくるほど進化したハウステンボスが存在感を示しています。

理に適い、情に適った東郷さんの佐世保港。俵ケ浦半島。高後崎・針尾島

小高い山々が連なり、懐に長く深い湾を抱えた俵ヶ浦半島。
佐世保港はこの半島の懐奥深い位置にあります。
明治期、入り江の一部を埋め立て佐世保鎮守府が開庁し、港を取り巻くように、日本の西海の守りを担う防衛の要が出現しました。
100年を経過した今も、海軍さん時代の遺構を残しています。
2016年4月、「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」に認定され、佐世保市にも多くの構成文化財が残されています。

近代日本の生き証人、港まち佐世保。佐世保市街

明治期以降は近代的な海軍都市として発展し、戦後はアメリカ文化に触発されながら独自の文化を育み、ハイカラな港町として賑わった佐世保。
佐世保バーガーにレモンステーキ、外国人バー、ジャズフェスティバルなど、異文化のエキスが混在する面白さがそのまま街の魅力となっています。
また、明治から大正にかけて整備された様々な施設や都市基盤が、今もなおその面影を残したり、現役で活躍するなど、近代化の足跡をたどることができます。

関連資料ダウンロード

新着情報一覧 もっとみる? 佐世保市